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行政法 / 処分性処分
処分性 3/6 / 約5分

勧告と条例 — 「ただのお願い」が処分になるとき

「あくまでお願いですので、従うかどうかはご自由です」。こう言われたら、断っても不利益はないはずです。役所が行う「勧告」も、建前はこれと同じで、法律上はただのお願い(行政指導)にすぎません。

ある人が病院を開こうとしたところ、県から「開設を中止するように」という勧告を受けました。ただのお願いですから、無視して開設することはできます。ところが、勧告に従わない場合には、保険医療機関の指定が受けられない扱いになっていました。保険がきかない病院に、患者はまず来ません。自由に断れるはずのお願いが、断れば経営が成り立たない仕組みとセットになっていたのです。

このお願いは、裁判で争えるのでしょうか。

この5分の問い

ただのお願いのはずの「勧告」や、法律の仲間のはずの「条例」が、処分として争えるのはどんなときでしょうか。

直感でつかむ

「断ったら何が起きるか」で、お願いの正体が分かります

建前が「自由」でも、断った人に確実な不利益が用意されているなら、それは実質的には強制です。逆に、断っても本当に何も起きないなら、権利や義務は動いていません。

判断の軸建前ではなく、従わなかったときに実際に何が起きるかを見る。

条例も同じ発想で見ます。条例は本来、広く一般に適用される法律の仲間ですが、特定の誰かを名指しで狙い撃ちにするなら、実質は「処分」です。見ていく判例は2つ、それぞれに対になる原則があります。

厳密に見る

例外が認められた2つの事件です

1つ目は、冒頭の病院開設中止の勧告です。原則として、行政指導(役所からの任意の協力のお願い)に処分性はありません。従う義務がなく、権利義務を動かす力がないからです。しかしこの勧告は、従わなければ保険医療機関の指定を受けられず、病院経営が事実上成り立ちません。実質的な強制があるとして、処分性が認められました(最判平17.7.15)。

2つ目は、特定の保育所を名指しで廃止する条例です。原則として、条例の制定は立法であり、処分ではありません。しかしこの条例は、その保育所に通う特定の児童・保護者の法的地位を直接奪います。立法の形式をとっていても、実質は名指しの処分だとして、処分性が認められました(最判平21.11.26)。

どちらも、「原則は入口の外、ただし実質を見て例外」という同じ構造です。

結論が反転する分かれ目
処分性 あり
病院開設中止の勧告
従わなければ保険指定が受けられず、経営が成り立たない
処分性 なし
行政指導一般
任意の協力要請にとどまり、従わない自由がある
分かれ目 従わなかったとき、実際に何が起きるか(事実上の強制があるか)。
ここで間違える

「一切」「すべて」と言い切る肢は、例外で崩れます

「行政指導には一切処分性が認められない」という肢は誤りです。原則は「なし」ですが、病院開設中止勧告という例外があります。「すべて・常に・一切・必ず」という絶対表現を見たら、反例を1つ思い出してください(行政指導なら病院勧告、条例なら保育所廃止条例)。

逆に、「勧告に従わなくても法律上の義務はないから、争う必要はない」と考えるのも危険です。従わない場合の不利益が制度に組み込まれていれば、事実上の退路は断たれています。

実務では

許認可の実務では、役所からの「指導」や「勧告」にどう対応するかという相談が日常的にあります。多くは任意の調整で済みますが、従わない場合の不利益が制度に組み込まれていないかは、必ず確認すべき点です。そこを見落とすと、任意だと思って断った結果、後続の指定や許可が事実上受けられなくなっていた、ということが起こり得ます。「これは断れるお願いか」に答えるための物差しが、このユニットの判例です。

確かめる — 予想してから答え合わせ
この5分のまとめ

冒頭の勧告に戻ります。あのお願いは、従わなければ保険指定を受けられない仕組みとセットだったため、処分として争えると判断されました。名前が勧告でも条例でも、建前ではなく、従わなかったときに実際に起きることで判断します。次のユニットでは、同じ発想を「通知」と「通達」という、そっくりな二つの言葉で確かめます。