勧告と条例 — 「ただのお願い」が処分になるとき
「あくまでお願いですので、従うかどうかはご自由です」。断っても不利益はないはずです。役所の「勧告」も建前はこれと同じ——法律上はただのお願い(行政指導)です。
ある人が病院を開こうとしたところ、県から「開設を中止するように」という勧告を受けました。無視して開設できます——ただし、従わなければ保険医療機関の指定を受けられませんでした。保険がきかない病院に、患者はまず来ません。
このお願いは、裁判で争えるのでしょうか。
ただのお願いのはずの「勧告」や、法律の仲間のはずの「条例」が、処分として争えるのはどんなときでしょうか。
「断ったら何が起きるか」で、お願いの正体が分かります
建前が「自由」でも、断った人に確実な不利益が用意されているなら実質は強制です。断っても何も起きないなら、権利や義務は動いていません。
条例も同じ発想——広く一般に適用される法律の仲間でも、特定の誰かを名指しで狙い撃ちにするなら実質は「処分」です。見ていく判例は2つ、それぞれに対になる原則があります。
例外が認められた2つの事件
1つ目は、冒頭の病院開設中止の勧告です。行政指導(役所からの任意の協力のお願い)に処分性がないのが原則——従う義務がなく、権利義務を動かす力がないからです。しかしこの勧告は、従わなければ保険医療機関の指定を受けられず経営が事実上成り立たないため、実質的な強制があるとして処分性が認められました(最判平17.7.15)。
2つ目は、特定の保育所を名指しで廃止する条例です。条例の制定は立法で処分ではないのが原則ですが、この条例は通う児童・保護者の法的地位を直接奪うため、立法の形式でも実質は名指しの処分として処分性が認められました(最判平21.11.26)。
どちらも「原則は入口の外、ただし実質を見て例外」という同じ構造。
「一切」「すべて」と言い切る肢は、例外で崩れます
「行政指導には一切処分性が認められない」は誤りです——原則は「なし」ですが、病院開設中止勧告という例外があります。「すべて・常に・一切・必ず」には反例を1つ(行政指導なら病院勧告、条例なら保育所廃止条例)。
逆に「従う法律上の義務はないから争う必要はない」と考えるのも危険——不利益が制度に組み込まれていれば、事実上の退路は断たれています。
許認可の実務では、役所からの「指導」や「勧告」にどう対応するかという相談が日常的に来ます。多くは任意の調整で済みますが、従わない場合の不利益が制度に組み込まれていないか、必ず確認します。見落とせば、任意だと思って断った結果、後続の指定や許可が事実上受けられなくなります。「これは断れるお願いか」に答える物差しが、このユニットの判例です。
あのお願いは、従わなければ保険指定を受けられない仕組みとセットだったため処分として争えます。名前が勧告でも条例でも、建前でなく従わなかったときに実際に起きることで判断します。次のユニットは、同じ発想を「通知」と「通達」という、そっくりな二つの言葉で確かめます。