二重の基準論 — 切れたら直せない配線と、あとで直せる配線
薬局を新たに開くとき、既存の薬局から一定距離を離さなければならないという規制がかつてありました。最高裁はこれを違憲としました(薬事法判決)。ところが、小売市場を新たに開くときの距離制限は合憲とされています(小売市場事件)。同じ「距離制限」という手段なのに、なぜ結論が正反対なのでしょうか。
同じような規制なのに、精神的自由と経済的自由、経済的自由の中でも規制の目的によって、審査の厳しさが変わるのはなぜでしょうか。
切れたら直せない配線は厳しく守り、あとで直せる配線は緩やかに見ます
精神的自由(表現の自由など)は、いわば民主主義という機械を動かす配線です。この配線が切れると、選挙で多数派が代わっても元に戻せません——だから裁判所は厳しい基準で審査します。経済的自由は、多少不合理な規制でも国会が選挙を通じて後から直せる配線です——だから裁判所は国会の判断を尊重し、緩やかに審査します。
経済的自由の中にも、さらに二段階の物差しがあります。それが規制目的二分論です。
消極目的は厳しく、積極目的は緩やかに審査します
職業選択の自由(22条)・財産権(29条)に対する規制は、目的によって審査の厳しさが分かれます。国民の生命・健康・安全を守るための消極目的規制は厳格な合理性の基準で審査され、規制目的の重要性と手段の必要性・合理性が問われます。薬事法の距離制限(最大判昭50.4.30)は消極目的規制で、不良医薬品の供給防止という目的自体は正当でも、距離制限という手段は必要性・合理性を欠くとして違憲とされました。
一方、中小企業保護など社会経済政策のための積極目的規制は明白性の基準で審査され、著しく不合理であることが明白でない限り合憲とされます。小売市場事件(最大判昭47.11.22)は積極目的規制で、著しく不合理とまでは言えないとして合憲とされました。
精神的自由の内部にも段階があります。表現内容そのものを規制する内容規制には厳格審査基準(やむにやまれぬ利益+より制限的でない手段〈LRA〉の有無)が、表現の時・場所・方法を規制する内容中立規制には中間審査基準が用いられます。
「消極」と「積極」を入れ替える肢が定番です
第一の手口は目的の入れ替えです。「薬事法判決は積極目的規制として明白性の基準で合憲とされた」は誤りです。薬事法は消極目的規制で、結論も違憲です。
第二の手口は結論の反転です。「小売市場事件は消極目的規制として厳格な合理性の基準で違憲とされた」は誤りです。小売市場は積極目的規制で、結論は合憲です。
第三の手口は基準の一律化です。「経済的自由への規制はすべて同じ基準で審査される」は誤りです。消極目的か積極目的かで審査基準そのものが変わります。
「新しい業態の許認可申請で、既存業者との距離制限があるのですが」という相談では、その規制が消極目的(安全確保)か積極目的(既存業者保護)かの見立てが、行政不服申立ての可能性を考える出発点になります。もっとも規制の合憲性を正面から争う場面はまれで、実務の主軸は許認可要件を満たす申請書類の作成です。それでも規制の性質を理解していると、依頼者への説明に厚みが出ます。
答えです。精神的自由は民主政の配線として厳しく、経済的自由は立法で直せる配線として緩やかに審査されます。経済的自由の内部でも、消極目的は厳しく、積極目的は緩やかに——薬事法と小売市場の結論の違いはここから来ています。次は、報道の自由と取材の自由という、似ているようで保障の強さが違う2つです。