shikakuホームへ
行政法 / 正義感の罠
正義感の罠 2/3 / 読む3分+確認8問

賠償と責任編 — 「気の毒」と「けしからん」に法は流されません

賠償の分野は感情がいちばん強く動く場所です。気の毒なら救いたいし、ずさんな行政はけしからん。ところが国家賠償法はその両方向の感情を裏切ります——「気の毒でも否定」「けしからんとまでは言えなくても肯定」。理由ごと並べます。

この回の問い

賠償分野で正義感が誤答を作る場所はどこでしょうか。

直感でつかむ

裏切りは両方向から来ます

片方向だけ警戒すると、逆側で刺されます。「かわいそうだから認められるはず」が否定される場所と、「行政は悪くなさそうだから否定のはず」が肯定される場所。国家賠償の設計思想は被害者の救済責任の合理的な配分であって、感情の追認ではありません。だから両方向で裏切ります。

回避の軸「気の毒」も「けしからん」も判断材料にしない。見るのは要件(外形・瑕疵・故意重過失)。
厳密に見る

両方向の裏切りを、理由ごと確認します

「気の毒でも否定」側。中学校のテニス審判台で幼児が死亡した事故は、結論が否定です。本来の用法に従う限り安全な営造物を、通常予測し得ない異常な方法で使った結果までは、設置管理者は責任を負いません(最判平5.3.30)。河川の水害も、計画に基づき現に改修中の河川については財政的・技術的・社会的制約をふまえた過渡的な安全性で足りるとされました(大東水害・最判昭59.1.26。この判決自体は破棄差戻しで、否定が確定したのは差戻控訴審です)。要件(通常有すべき安全性の欠如)が線を引きます。

「けしからんとまでは言えなくても肯定」側。高知落石事件では、管理者の過失は立証されていません。それでも道路が通常有すべき安全性を欠いていた以上、責任は肯定され、「予算がない」という抗弁も排斥されました(最判昭45.8.20)。2条は無過失責任。「一生懸命やっていたなら仕方ない」という感情の側が誤答を作ります。

「けしからんのに軽い」側。うっかりミス(軽過失)の公務員に、国は求償できません(国賠法1条2項は故意・重過失限定)。「ミスした本人が払うべきだ」という感情は、公務の萎縮防止という制度の理由に譲ります。外国人被害者には相互の保証という条件もあります(6条)。「誰でも等しく救済」という感情への、もう1つの裏切りです。

結論が反転する分かれ目
気の毒でも否定
テニス審判台・大東水害
本来の用法なら安全な営造物の異常な使い方/改修中の河川の過渡的安全性。同情と要件は別物
過失なしでも肯定
高知落石
無過失責任+予算抗弁の排斥。「頑張っていたから免責」はない
分かれ目 感情の向きと結論の向きは独立。見るのは要件だけ。
ここで間違える

「無過失責任=なんでも認められる」への振れすぎに注意です

2条の無過失責任を学ぶと「営造物の事故なら全部認められる」へ振れがちです。テニス審判台と大東水害は、その振れすぎを試す判例。無過失責任は過失の立証が不要という意味で、要件(瑕疵)の審査が不要という意味ではありません。

実務では

賠償の相談は感情の温度がいちばん高くなります。依頼者の「気の毒」「けしからん」に共感しながら、判断の土俵は要件に置き直して見通しを伝える——この二層の応対ができるかどうかが専門家への信頼を分けます。

確かめる — 予想してから答え合わせ
この回のまとめ

裏切りは両方向。気の毒でも要件がなければ否定、過失がなくても瑕疵があれば肯定、けしからなくても軽過失なら求償なし。ドリルで感情に頷かない練習をしてください。