shikakuホームへ
行政法 / 正義感の罠正義
正義感の罠 2/3 / 約5分

賠償と責任編 — 「気の毒」と「けしからん」に法は流されません

賠償の分野は、感情がいちばん強く動く場所です。被害者が気の毒なら救ってあげたいし、ずさんな行政はけしからん。ところが国家賠償法は、その両方向の感情を裏切る割り切りを持っています。「気の毒でも否定」と「けしからんとまでは言えなくても肯定」——両方向の裏切りを、理由ごと並べます。

この5分の問い

賠償分野で正義感が誤答を作る場所は、どこに集中しているのでしょうか。

直感でつかむ

裏切りは両方向から来ます

片方向だけ警戒すると、逆側で刺されます。「かわいそうだから認められるはず」が否定される場所と、「行政は悪くなさそうだから否定のはず」が肯定される場所。国家賠償の設計思想が被害者の救済責任の合理的な配分であって、感情の追認ではないことが、両方向の裏切りを生みます。

回避の軸「気の毒」も「けしからん」も判断材料にしない。見るのは要件——外形・瑕疵・故意重過失。
厳密に見る

両方向の裏切りを、理由ごと確認します

「気の毒でも否定」側。公園のテニスコートの審判台で幼児が亡くなった事故——結論は否定です。通常の用法に即しない行動の結果まで、設置管理者は責任を負いません(最判平5.3.30)。未改修河川の水害も、財政的・技術的制約をふまえた過渡的な安全性で足りるとされ、否定されました(大東水害・最判昭59.1.26)。感情はどちらの被害者にも同情しますが、要件(通常有すべき安全性の欠如)が線を引きます。

「けしからんとまでは言えなくても肯定」側。高知落石事件では、管理者の過失は立証されていません。それでも道路が通常有すべき安全性を欠いていた以上、責任は肯定され、「予算がない」という抗弁も排斥されました(最判昭45.8.20)。2条は無過失責任——「一生懸命やっていたなら仕方ない」という感情の側が誤答を作ります。

「けしからんのに軽い」側。うっかりミス(軽過失)の公務員に、国は求償できません(国賠法1条2項は故意・重過失限定)。「ミスした本人が払うべきだ」という感情は、公務の萎縮防止という制度の理由に譲ります。外国人被害者には相互の保証という条件もあります(6条)——「誰でも等しく救済」という感情への、もう1つの裏切りです。

結論が反転する分かれ目
気の毒でも否定
テニス審判台・大東水害
通常の用法の外・過渡的安全性。同情と要件は別物
過失なしでも肯定
高知落石
無過失責任+予算抗弁の排斥。「頑張っていたから免責」はない
分かれ目 感情の向きと結論の向きは独立。見るのは要件だけ。
ここで間違える

「無過失責任=なんでも認められる」への振れすぎに注意です

2条の無過失責任を学ぶと、今度は「営造物の事故なら全部認められる」へ振れがちです。テニス審判台と大東水害は、まさにその振れすぎを試す判例でした。無過失責任は過失の立証が不要という意味であって、要件(瑕疵)の審査が不要という意味ではありません。

実務では

賠償の相談は感情の温度がいちばん高い相談です。依頼者の「気の毒」「けしからん」に共感しながら、判断の土俵は要件に置き直して見通しを伝える。この二層の応対ができるかどうかが、専門家への信頼を分けます。

確かめる — 予想してから答え合わせ
この5分のまとめ

裏切りは両方向——気の毒でも要件がなければ否定、過失がなくても瑕疵があれば肯定、けしからなくても軽過失なら求償なし。ドリルで感情に頷かない練習をしてください。